人を信じる心

0

Posted by Kumata | Posted in 社長的 | Posted on 26-06-2011

人を信じる事は尊いと思う。もし仮に信じていた人に裏切られたとしても、誰かを信じる心は失いたくない。

ところがこうも人に裏切られ続けるとさすがに消耗する。

昔からの親友で会社を経営していたヤツがいて、会社を始めてから2〜3年で年商10億の企業になり、そこから1年でに2億の赤字に転落し倒産した。

彼が言うには「従業員なんて自分の事しか考えてないから経営者がどんな思いをして彼らを守ろうとしたところで会社の雲行きがあやしくなってくると会社を支えるどころかすぐに放り出してそそくさと逃げてしまう」らしい。そして僕は実際にその一部始終を目撃した。

ところが、ここで待てよ。似たような逆の話は巷で通説になってるような。

「会社のためにいくら尽くしたって経営者の都合で切られてしまう」ってなことをみんな思ってるんじゃなかっただろうか。どこからこの不信が生まれるのだろう。

誰しも自分を守ろうとするのは生存本能なのだからしょうがない。従業員に生活があれば経営者にだって生活がある。その利害が時に一致しなくなることもよくある事だ。そしてお互いリスクを持っている。

どうしても自分は経営者の立場だから経営者の取るリスクの方が甚大だという事に重きを置いてしまう。会社のランニングコストは想像を絶する。実際に前述の彼は経営者責任で2億円の負債を実際に「個人として」負った。普通には返済できる額ではない。サラリーマンの生涯所得額とほぼ同等だ。実際彼は自己破産した。

負債の額でいうと従業員のそれは上述の彼の場合と比べ物にならないくらいに軽い。失業によって生まれる損失は多く見積もって1年間でその人の年収、再就職すればその損失も抑えられるうえ場合によっては失業保険も出る。(経営者は出ない!)

だが問題は金額の大小ではないかもしれない。つまり身を守るという本能だ。

身を守る行動や感情は何らかの危険が存在するという認識から来る。その危険を労働者は資本家に、資本家は労働者に重ねあわせてしまう。「あいつらのせいで」という発想だ。

ここで本当はお互いの事をもっと理解すべきだと思う。こき使われた上に惨めな生活をさせられるのはまっぴらだと思っている労働者と、労働者の生活を支えるために巨大なリスクとストレスを抱えていると思っている経営者。

相手の痛みを知ることから相手を信じる事に繋がって欲しいと心から願う。少なくとも自分は仲間を信じ続けようと思う。

ちょっとシリアスになってしまった。